はるのライフストーリー


はじめまして、新開晴美です。

私のHPにお立ち寄りいただきありがとうございます。
この広い世の中でこうして繋がれたご縁に感謝します。

ここでは、ちょっとディープな、
ありのままの私のライフストーリーをご紹介いたします。

誕生

1972年 東京生まれ。
3505gのデカイ赤ちゃんでした!!

母曰く、癇が強く夜泣きを始めたらちょっとやそっとじゃ泣き止まなかったらしい。

哺乳瓶を持たせて背中に負ぶってると、ミルクを飲み終えるとその哺乳瓶をポーンと後ろに投げやるような子、とよく言われてました。

1978年~1992年

都内、公立の小学、中学を卒業後、私立女子高に入学。

一浪して短期大学に入学。

私の少女時代はけっこう闇歴史。

小2で転校した先でいきなりのいじめ。
そのまま小3、4年は、男子からからかわれたり、
クラスのみんなからシカトされたり、
一緒に遊んでてもいつも鬼の役を押し付けられたり。

スカートめくりやパンツおろしといった、
性的な侮辱を受けるようなからかいが当たり前にあり、

でも少女の心は、

モテる女の子はスカートめくりをされている。
つまり、それをされることは人気者のあかし。

でもそれをされることはものすごく屈辱的。
という幼い葛藤、その狭間で苦しみを感じてた。

自分を蔑ろにしてまで、
誰かにかまわれたいという欲求があったんだと思う。

その頃になると父はギャンブルにはまりアル中状態になり、

勝つと上機嫌、負けると大暴れ。

その感情の振り幅の中、被害にあわないよう父の顔色を見ながら過ごすようになる。

しかし、母はそれに関わらないように無関心を決め込んだ。

また母の連れ子だった兄と、私の実の父は険悪な仲で諍いが絶えず、

そんなとき、母方の祖母との同居も始まり、

狭い部屋に祖母と私が住み、

父は祖母に嫌がらせはするし、

私に手をあげることも増えてきてた。

そんな中、信頼してた兄は家を出てしまい、

ますます家は居心地が悪い、

学校に行っても辛い、

となると、共働きの両親の不在中、

学校を早退したり休んだりして、家でひとり、

自分の妄想の中で遊ぶような子になっていった。

また病気になり入院を繰り返した。

小5になると、今度はちょっと不良な少女たちと仲が良くなり、

私自身がいじめをするようになった。

そしてますます学校に行かなくなった。

そして中学。

気持ちをいれかえ部活動に励むものの、先輩から「生意気だ」と目をつけられ、

何かと呼び出しを受け、
口で罵倒されたり、
ひっぱたかれるといったいじめを受ける。

強烈な痛みの体験は、先輩の彼氏が私のことを好きになったという理由で、

これ、中2の話ね。

ある日、大勢の女子先輩に倉庫に連れ込まれ、

そこに男子もいて体育着を脱がされリンチにあう。

これがきっかけで私は、

「もうこんな目にあいたくない、目立つことは危険だ」

と消極的になり、そこから摂食障害になっていった。

高校に入ると、私は一気に太り始めた。

170センチ74キロ。

大きな体を隠したくて隠したくて仕方なかった記憶がある。

高校の授業料を自分で働いて捻出しなければならず、

学校に行くよりバイトに明け暮れ、

そこで出会った年上の男性たちとの関わりが強くなり、

私は、自分の存在を安く見積もり、

自分を大事にすることなどまったくできなくなっていった。

そして短大生になってからは、

飲み屋のバイトをかけもちしながら、

どんどん夜のディープな世界へ入っていった。

もうこのままお水の世界で生きていこう、と決めてた矢先、

私は大恋愛をする。

その人は、私を本当に大事に扱ってくれた。

そして、その人の助言により、

卒業後の進路に、会社に入る、という選択肢が現れた。

「一度、社会に出てみろ、

まともな人間、たくさんいるよ。」

って言われたのを覚えてる。

そして、、、

キラキラ1993年

短大卒業後、大手電気メーカーに入社。

音符爽やかな笑顔(!)24歳くらいでしょうか。

女性の営業職として仕事で全国を飛び回り、

キャリアウーマンとして必死で頑張っていました。

仕事もプライベートもスペースが怖く何事も、

ギッチギチに詰め込んで生きてたな。

バブル崩壊後の採用は一気に狭き門となっていたが、

さいわい、電気メーカーの販売会社に入社。

一般事務を1年半ほどした後、営業職に抜擢され、

販売促進、商品勉強会講師、社内情報番組の制作などを

勤めることになる。

この数年間は華やかな時代だったな。

まさに、仕事もプライベートも充実って感じだった。

この頃、よく旅行に行ってた。

音符大好きだったアリゾナ。これは22歳くらいかな。

LAからラスヴェガスに入って、レンタカー1週間の旅。

ナショナルパーク巡りが趣味。3年連続で行くくらいはまってた。

音符これははじめてベトナムに行った時。

渋谷でベトナム料理を食べて感動!次の休みはベトナムだ!!と。

これは、たしかニャチャンのビーチ。

音符この頃、一眼レフにはまってて、写真ばっかり撮ってた。

まだフィルムの時代で、カラーと白黒両方で20本とか30本とか、

フィルムをもって旅に出てた記憶がある。

音符これは南米ベネズエラ。

エンジェルフォールという1000mの滝を見に行ったんだ。

この旅はエキサイティングだったー!!

音符これはハワイ。

会社を辞めたご褒美旅行、2ヶ月くらいいたかなー。

ハワイには叔母や従妹が住んでるにもかかわらず、

また1度しか行ったことがない!また行きたいなー。

他にもいろんなところに行った。

10代が辛かった分、この頃は青春を謳歌!って感じだった。

同時に、自我丸出し、肩ひじ張って生きていた私は、

実は慢性的な体調不良を訴えてました。

その治癒のために東洋医学に目覚め、

27歳のころ、鍼灸師を目指そうと一念発起!

したものの、、、。

キラキラ2000年~2004年

一度目の結婚を機に2000年に欧州へ移住。

同じ会社に勤めてた男性と交際の後に結婚。

ドイツとスウェーデンに、トータル3年半ほど住むこととなった。

すべてが初めての経験で、刺激的な毎日。

文化の違いや習慣の違いに一喜一憂しながら、

暮らしを楽しんでた。

そんな中、腰痛の改善を目的にヨガをはじめる。

2001年の911をドイツで体験。

世界が不穏な空気に包まれつつも、

当時、ヨーロッパのほとんどの国に行けたことは人生の宝。

その中でも、私は東欧チェコにはまり、

プラハは魂の故郷だと感じるほど。

他にはフランス、パリが大好きになる。

そんな中、当時の夫は仕事が忙しく、

私はドイツ、夫はスウェーデンという別居暮らしがはじまる。

その頃から、孤独感と、海外生活への疲れもではじめ、

ふたたび激しい摂食障害、

そしてアルコールへの依存が強まり、

深い閉塞感の中、夫婦関係はひんやりと冷めていった。


2004年帰国後、離婚。

2005年、新しいパートナー、現在の夫と運命の出会いがあり、

人生の立て直しをはかりヨガ教師を目指す。

音符この頃、ヨガスタジオの受付スタッフとして働きながら、

朝から晩までヨガばっかりやってました。


キラキラ2006年~2008年
様々なワークショップに参加し、

心と体と魂の関連に強い興味を抱く。

幼少期、思春期の体験から生まれた

トラウマに苦しめられていた自分に気づき、

生きづらさの根本原因を探る自己探求の道へと入る。

同時にホリスティックな健康観に深く共感し、

マクロビオティックやアーユルヴェーダの学びと実践に、

全身全霊で取り組み厳格なまでのヴィーガンとなる。

音符これ、2006年の夏、マクロビオティックを始めたと同時にはまっていったキャンプ生活。

初めて、鍋で炭火で「黒米入りの玄米」を炊いたときの喜びの一枚!

この頃から、あらゆるものの断捨離へ。

テレビ、レンジといった家の中の家電を処分し、

メイク、シャンプー、歯磨き粉、髪染め、

派手に装うファッション、ヒールをはくことなど、

身の回りのものをどんどんやめていった時代に突入!

様々な不定愁訴を改善させ、

長年患っていた椎間板ヘルニア、

過食嘔吐、アルコールやタバコへの依存を克服。

生まれて初めて「健康って素晴らしい」と実感する。


2007年インドでの1ヶ月のトレーニングを受け、

2008年よりヨガ教師として活動を開始。

音符北インド、ヒマラヤのふもとにあるアシュラムへ。

エメラルドグリーンのガンジス河に毎日沐浴できたことは私の生涯の宝物キラキラ

音符アシュラムを出てからインドひとり旅中。かなりヒンディーな私おねがい

2008年、2度目の結婚。

音符2007年ごろの私。今よりかなりきりっとしてるね!

★2010年~2017年

マクロビオティックをはじめてから出会った、

”You are what you eat.” に感銘を受け、

確かに私たちは、

自分が食べたもので出来ている。

それを実感すると、

次は、自分を育む食べ物をつくりたくなった!

そして、、、


2010年、念願だった農的暮らしへの第一歩として生まれて初めて稲作を経験。

山梨県都留市で稲作を経験し、農的暮らしへの夢が膨らむ。

同時に、インド哲学の師匠と出会い、

ヴェーダの学びに夢中になり生きる上での

生きる上での価値観がどんどん変容していく。


そして2011年の東日本大震災をきっかけとして、

頭を勝ち割られたような衝撃を受ける。

震災数日後、福島への物資送り出し支援のボランティアに入り、

活動していた時、もうこのまま東京に住むのはありえない。

消費型の暮らしから脱却したい!

田舎で田畑をやりながら、自分たちの食べるものを育て、

のんびり暮らしたい!

と強く思うようになり、

翌2012年春、東京を離れ神奈川県相模湖に移住。

この頃、両親が続けて他界し、私の死生観にも大きく変化が生まれた。

そして、最初は味噌づくりやちょっとした料理教室という、

小さなシェアリング会の場が、しだいに人気が出るようになり、

夫とともに「おだやか家」を主宰することとなる。

ゆるやかでのんびりとした農的暮らしを目指していたにもかかわらず、

来てくださる方々は年々増え、

それに伴い耕す畑も年々広くなり、

気づいたら、ガチな農家になり、

自給自足の暮らしをまかなう女将となっていた。

農業体験会「だいずのいのち」、

穀物菜食、発酵食、一汁一菜といったキーワードで

「女将の料理教室」などを開催。

尊敬する佐藤初女さんから、

ぬか床をわけていただいたことをきっかけに、

ますます発酵食にめざめ、

ぬか漬けを伝える教室は連日満員御礼。

2015年にはショートムービー「おだやか家」も

リリースされ数多くのメディアで紹介される。

ショートムービー『おだやか家』

こういった、いっけん華やかな、

希望に満ちた暮らしぶりの裏で、

私自身は、ヨガティーチャーとしてやっていく自信を失い、

人間関係のトラブルも立て続けに起き、

ティーチングの現場から遠のいていった。

この時の喪失感は、あまりにつらく、表に出せないほど。

そして、2017年、順調に進んでいた活動の陰で、

もっとも大切にしていた自分たちのおだやかな暮らしが

破綻していることに気づき、

強い挫折感と共に自分自身の在り方へのさらなる探求がはじまる。

キラキラ2018年~現在
その結果、夫との婚姻関係を、一度解消するに至ったものの、

離婚を機にこれまで以上に真実の対話が起こり、

パートナーとの問題はすべて自分が起こしてること。

自分の在り方ひとつ、と気づき、

離婚した夫と再婚。

自分自身の心と向かい、

パートナーシップの成熟を果たす模索し始める。

2018年、12年間続けたベジタリアン、マクロビアンという

ライフスタイルをいったん卒業。


この間、友人の紹介で「魂のお産婆さん」こと岡部明美さんに出会う。

LPL養成講座、ラビング・プレゼンス・リーダーシップで学びをはじめる。

2018年 12期LPL修了

2019年 13期LPL修了

ヨガ・心理セラピスト、カウンセラーとして活動をスタート

2019年10月から、オリジナル心理セラピー「子宮ひめごとセッション」をスタート。

さらに、2020年4月より、これまでの学びと経験を統合した、40代以降の女性たちが本当のしあわせを感じる人生を構築する「円満ライフメソッド」を考案。

心と体と魂、性と生と聖のすべての領域を網羅したものとして、現在第1期生が受講中。

そして、2020年6月からZOOMによる「ハーモニック・エナジー・ラボ」を主宰、さらに、デリケートゾーンのケアからはじまる女性のセクシャリティを健全にする「スピリチャル・セックス・メソッド」もスタートさせる。

以上、私のライフストーリー、最後までお読みいただきありがとうございます。

2020年10月14日現在 

ご興味があれば、

ヨガティーチャーとしてのプロフィール

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