はるのヨガヒストリー


はじめまして、新開晴美です。

私のHPにお立ち寄りいただきありがとうございます。
この広い世の中でこうして繋がれたご縁に感謝します。

ここでは、ちょっとディープな、
ありのままの私のヨガヒストリーをご紹介いたします。

ヨガとの出会い

2000年
ドイツ在住時、ミュンヘンのフォルクスホッホシューレ(Volkshochschule)という市民学校のカリキュラムにあったヨガクラスを受講したのが、私とヨガの出会いです。

椎間板ヘルニアの状態があまりよくなく慢性的な腰痛を抱えていた私。

さらに、当時の夫には隠していた、長年の過食嘔吐の症状も悪化。
アルコールやタバコの量も増える一方で、慢性的な体調不良を抱えていました。

「海外赴任に同行する妻」という立場上、時間を持て余していたこともあり、以前から興味のあったヨガをはじめるなら今かな、と思ったことと、ドイツ語に慣れる必要もあったので、

「現地のローカルが集まるクラスに通ってみよう!」

とかなりの勇気をもってエントリーしたのをよく覚えています。

行ってみると、ひげを生やした、”若いころインドで修行してきました!”って風情のドイツ人のおじいちゃん先生のもと、

中高年のおじちゃん、おばちゃんばかりで、ドイツ語も英語もろくに話せない日本人がひとりおもむろに参加したこともあり、ちょっと奇異な目でみられ(ているような気がして)数ヶ月はがんばって通ってみたものの、挫折。

あとは、amazonで取り寄せたこちらの本で宅ヨガ。

1995年から表参道でスタジオを開かれてる江橋洋先生の著書。
バイオウェルネスヨガスタジオ

どういうご縁でこれを選んだのかはもう忘れたけど、私が最初に手にとったヨガ関連の本はこちらでした。(今記憶をたどり検索したら見つかった!)

離婚を決め帰国、そして日本でヨガ再開

2004年、32歳の頃でした。
夫婦関係がうまくいかず離婚を決めひとりで帰国。

都内でひとり暮らしをはじめた家の近くにあったスポーツクラブでヨガを再開する。

20人~30人がガラス張りの部屋で行う、グループレッスンの中、

私はある日、ヨガのポーズを取っていたら涙が止まらなくなり、隠れるようにポロポロ泣きながらそこにいました。

当時の私は、離婚して人生やり直そうと思いながらも何もかもがうまくいかず、もがきまくっていた時期で、もう心も体もボロボロでした。

それを見たインストラクターの方が、レッスンのあと近づいてきてくれて、

「ヨガをしてると思いがけず感情に触れることがあるんですよ。あなた、ヨガに対して本気度高いから、一度、ヨガの専門スタジオに行ってみたらどう?」

といったことを話してくれて、

「へー、ヨガの専門スタジオか!!」と思い至り、

家に帰ってすぐにパソコンで検索。

すると、ラッキーなことに家のすぐ近くに老舗のヨガスタジオを発見。
(※綿本ヨーガスタジオは2019年5月惜しまれながら閉校)

すると!
なんと!
受付スタッフの募集もしてるではないか!!

これだ!!

と思い、募集に応募し面接を受け、有難いことにそのままスタッフとして勤務することになり、私のヨガ人生まっしぐら街道がスタートすることになったのです。

そして、2005年の第2回開催となった『ヨガフェスタ』でクリパルヨガの三浦敏郎先生に出会います。

ヨガを通して心にアプローチしたいと強く願っていた私は、「フェニックス・ライジング・ヨガセラピー」というヨガ×心理セラピーの座学講座を選択し、

そこで三浦先生が心についてお話ししてくださったことが印象的で、その後、当時渋谷にあったクリパルヨガのスタジオに通い詰めることとなりました。

もう本当に夢中でした。

そこから1~2年、クリパルヨガや瞑想、呼吸法といったワークショップをすべて受け、心と体の繋がりの探求、そして自分を知るということに夢中になっていきました。

ここからは、寝ても覚めても、ヨガ、ヨガ、ヨガ、、、な日々が始まります。

マクロビオティックとの出会い

さらにその当時、生理前のPMSがあまりにひどく、日常生活に支障をきたすほどにもなっていた私は、ヨガ友からこんな言葉を聞くことになります。

「そんなに体調悪いなら、食を見直してみるといいよ。私は乳ガンなんだけど、マクロビオティックという食事法で癌の治癒を目指してるの。」

私はショックでした。

癌を食で治す??

当時の私にはまったくない概念だったし、いつも一緒にヨガをしていた女性が癌を患っていただなんて思いもしなかったから。

そして興味を持った私は「マクロビオティック」について調べ始め、

そこから久司道夫先生の講演会に行ったり、書籍を読み漁り、久司マクロビオティック・アカデミーに入学するまでにほとんど時間はかかりませんでした。

この時期、新しいパートナー(今の夫)と一緒に暮らしはじめていた私は、ある日家に帰るなりこう言いました。

「明日から玄米菜食ね!」

すると彼はこう言いました。

「何それ、うまいの?」

そして私たちは一緒に食生活を変えていくプロセスに入ります。

家の中から、添加物の入った調味料や食材は姿を消し、テレビも捨て、電子レンジも炊飯器も捨て、玄米、ゴマ塩、無添加オーガニック、発酵食、乾物、、、といったマクロビオティック食、さらには動物性食品をいっさい摂らないヴィーガンライフに突入していきます。

日に数時間のヨガの練習のかたわら、
暮らしに断食も取り入れ、まさに心身の浄化期間に入ったのです。

もちろんタバコもやめ、お酒も完全に絶った時期もあります。
(今思うと)そうとうストイックなライフスタイルですね(笑)

そして当たり前のように、

「将来はヨガティーチャーになりたい!」

という夢をもつようになっていきました。

2007年ごろ、
代々木公園での朝ヨガイベントに出た時かな。懐かしいなー。

インド、シヴァナンダヨガティーチャトレーニングへ

2007年10月
北インド、ヒマラヤの麓になるアシュラムにてティーチャートレーニングに参加。

インド政府公認シヴァナンダヨガ教師200時間トレーニング修了
International Sivananda Yoga Vedanta Centres

2006年の終わりごろから、私はクリパルヨガと並行して、インドの伝統的なシヴァナンダヨガの練習にはまっていきました。

マントラを唱え、
プラーナヤーマを行い、
決まったシークエンスでアーサナをする。

心と体を調え律するヨガ。

このプラクティスを1年みっちりやったおかげで、「私は一人でインドにいく!」という決意もできたし、その行動力も身についていったんだろうと思っています。

デリー

デリーに着いた翌朝。はじめての散歩。

実はこの時、デリー空港で荷物を間違って持っていかれ、所持品がパスポート、財布、現金わずか、歯ブラシと手ぬぐい、そしてヨガマットのみ!(笑)

でも「どーにかなるっしょーー!」と神を信頼するしかないという経験中。

実際は、空港の人が荷物を探し始めてもくれない、、、という現状に対して、ホテルのオーナーの取り計らいでエアポートポリスの事務所まで足を運び、

「お願いだから、荷物探してよ~!!!」と直談判するという体験(笑)

ホント、彼らにはお世話になったなー、、、感謝♥

4日後に荷物が手元に戻ってきた時は、

たぶんこのカレーにアタり、高熱を出しながら、上から下から出すものを全部出してる真っ最中。まさに浄化のためのプロセス。

そして、心身共にクリアになってから、

デリーから列車とジープを乗り継ぎ、丸1日かけて、

ウッタルカシのアシュラム到着

北インド、ウッタルカシのアシュラムに到着!

アシュラムでは約1ヶ月、朝の6時の瞑想からはじまり、夜のサットサンガまで、休みなく、ヨガ、ヨガ、ヨガ、の日々。

最高に楽しい思い出であると同時に、最高にしんどい修行だった。

すべて英語でのレッスン。ヨガのリード程度ならまだしも、生理解剖学からヨガ哲学まで英語英語で、本当にきつかった。
何度も泣きだして日本に帰りたくなったけど、、、

「自分で決めてきたんだ!」という思いを、毎晩のように、ドミトリーの2段ベッドの下段で丸くなりながら思い出してました。

そして週に1回は、歩いて30分くらいの隣村まで行って日本に電話をかける。
そして通じたらめちゃくちゃラッキー、みたいな感じだった。

そうそう、ガンジス河で本気で溺れもう死ぬかと思った経験も!!

ガンジス川と言えば、ドロドロで死体も流れる、、、というイメージでしょうが、北インド、ヒマラヤの麓のガンジス河はそれはそれは美しい、エメラルドグリーンの河でした。

本当に、この時のすべての経験が「私にもできるんだ!!」という自分への自信になったと今でも思います。

アシュラムでのサーダナを通して生まれて初めてのイニシエーションを経験。

Sita(シータ)という「大地の女神」のスピリチュアルネームと、
Rama(ラーマ)のマントラを授かり、

晴れてシヴァナンダヨガ指導者の資格を受けて卒業。

その後、リシュケシ、ハリドワールからダラムシャラへの旅が始まる。

その中でも聖地ハリドワールに惹かれ長期滞在。

ローカルの友だちもできて、旅を満喫!っていうか、もう日本に帰ってきたくなかった。

そして帰国してすぐ、パートナーに、

ねー、インドに住もう!インドに住もう!と

何度も何度も口説きつづけていた記憶が、、、(笑)

クリパルヨガティーチャートレーニング

2008年
東京にて再びティーチャートレーニングに参加。

全米アライアンス認定クリパルヨガ教師200時間トレーニング修了。
Kripalu Center for Yoga&Health

シヴァナンダヨガのレッスンをスタートしながら、

伝統的なヨガの手法に、ヴィパッサナ瞑想とセラピュオティックなアプローチが融合された、より心を扱い、プラーナ=氣に宿る叡智と繋がることを大事にする、

クリパルヨガのティーチングも学びたいと心を決め、2年連続で200時間のティーチャートレーニングを受講。

この頃、大きな挫折を経験。でも一人前のヨガ教師になりたい、そう思いながら乗り越え小さな成功を重ねながら一歩一歩夢を叶えていくプロセスを歩んだ時期。

ボストン近郊にある、クリパルセンター、全米最大のホリスティックヘルスセンターです。これらの写真は、2009年アメリカのセンター訪問の時。

2008年、私が参加したティーチャートレーニング@東京の際、来日してくれたシニアティーチャーふたりとの再会!

2008年よりヨガティーチャーとして本格的に活動を開始

都内ヨガスタジオでクリパルヨガ、シヴァナンダヨガのレッスンを行いながら、

個人でも『YogaKutir』を主宰し、各地でヨガクラス、ワークショップ、リトリート、シンギングボールや三昧琴といった音とヨガのコラボイベント、

マクロビオティックやアーユルヴェーダとのコラボでは、よりホリスティックな心と身体へのアプローチを提案するイベントを開催。

それに関連し、摂食障害克服のためのカウンセリングもトライアルとして実施。

他にもママとベビーのヨガサークル、シニアヨガ、企業でのヨガとさまざまな経験をさせていただく。

同時に、2010年よりヴェーダ哲学の学びに夢中になる。
ムニンドラKパンダ先生が開くバガバッドギータ勉強会に週に何度も参加しアートマン、真我について学ぶ。

インドのアシュラムで体験したヨガのさまざまな儀式(ホーマ)をパンダ先生が東京で執り行ってくださるため、

私はこの時期、

哲学を学ぶニャーナヨガ、
マントラ、キールタンを実践するバクティヨガ、
肉体とプラーナを調えるハタヨガ、
さらに日々のティーチングでカルマヨガ、

という具合に、4つのヨガを共に実践していた。

メディアから離れ、どんどん自分の世界へと入り込んでいく時期に向かう。

その他の取得資格

2011年、チェアヨガ、シニアヨガ養成講座修了

2012年、トラウマ・アプローチヨガ教師トレーニング修了

2014年、リストラティブヨガ教師トレーニング修了

2015年、摂食障害克服のためのヨガ教師トレーニング修了

農的暮らしへの移行 ➡ ヨガの指導中止

2011年の東日本大震災をきっかけに、東京を離れ、神奈川県の山間部に移住。
農地をお借りし、本格的な農的暮らしに移行。

そこで夫と共に開いた農的暮らしの体験できる「おだやか家」の運営に夢中になり、ヨガの実践に費やす時間がどんどん減っていったことで、自分の在り方に疑問を抱くようになる。

そんな中、2015年長年お世話になっていたヨガスタジオをやめたことをきっかけに、自分のヨガの実践、ティーチングへの迷いが生まれる。

自分 < おだやか家の活動

となっていったことで、私は(今思うと)どんどん「他人軸」になりながら、それにより、私の奥底に眠る、自己否定感、罪悪感、無力感が表面化し始め、自分への信頼、自信を失い、

2017年、ヨガティーチングの現場から身を引くことになる。

農的暮らしの喜びを味わうとともに、その厳しさに打ちのめされ、夫との関係性がひどい状態に陥る。

責め、攻撃、喧嘩が絶えず、絶望を感じながら心身共に不安定な状態となっていく。2017年から19年の間は、まさに人生のデッドゾーンを体験し、そこからの回復の2年間となる。

LPL養成講座受講 ➡ ヨガの指導再開

2017年秋ごろ、失意のどん底だった私に、友人が紹介してくれた、後に生涯の師とあおぐ「魂のお産婆さん」こと岡部明美さんと知り合う。

びわ湖で開催された岡部明美さんの3daysワークショップに参加したことをきっかけに、

2018年5月から7ヵ月間の12期LPL(ラビング・プレゼンス・リーダーシップ)養成講座を受講。

このLPL養成講座は、心理カウンセラー、セラピストの養成講座でありながら、徹底的に自己を見直し探求するカリキュラムとなっており、これまで見落としてきた潜在意識の深い領域のクリーニング、クリアリングを行う。

この頃、ベジタリアンという枠を自分からはずし、自分を縛り付けていたさまざまな固定概念から自由になる。

そして、12期LPL修了後の2019年1月よりヨガの指導を再開。

さらに2019年5月から、13期LPL養成講座を再受講、さらに7ヵ月間の自己探求を続けた。

ヨガ・心理セラピスト、カウンセラーとして活動をスタート

2019年10月から、オリジナル心理セラピー「子宮ひめごとセッション」をスタート。

さらに、2020年4月より、これまでの学びと経験を統合した、40代以降の女性たちが本当のしあわせを感じる人生を構築する「円満ライフメソッド」を考案。

心と体と魂、性と生と聖のすべての領域を網羅したものとして、現在第1期生が受講中。

そして、2020年6月からZOOMによる「ハーモニック・エナジー・ラボ」を主宰、さらに、デリケートゾーンのケアからはじまる女性のセクシャリティを健全にする「スピリチャル・セックス・メソッド」もスタートさせる。

以上、私のヨガヒストリー、最後までお読みいただきありがとうございます。

2020年10月14日現在 

よりディープな私の歴史に興味がある方は、
続けてこちらもお読みになってください

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