
昨日は春の阿蘇を満喫してきました。
鬱蒼とした杉林。
100個の石燈籠が社殿まで続く長い参道。

穿戸岩(うげといわ)と呼ばれる大きな岩の中に立てば、
合格や必勝など何事にも打ち勝つパワーがいただけるという「上色見熊野座神社」。

阿蘇の雄大な自然を眺めつつ、
途中、色鮮やかな枝垂れ桜に感動しつつ、

この枝垂れ桜の下に立って、花と青空を見上げた時、
生きてることを祝福された気持ちになった。
そして、本当、生かされてるなぁ、という実感を味わい、
なんだか胸がいっぱいになる時間でした。
とはいえさ、
生きてると、本当にいろいろなことが起きてくる。
嬉しいことも、まいったなぁ、と思うことも、
出来事とは、
思いもよらないところから、
降って湧いたように突然起きてくる「突発感」があると思うんだけど、
潜在意識について知れば知るほど、
んなことはない。
その現実を目撃したということは、
それ、私の潜在意識が創り出したことだからな、という視点を持てるようになり、
意識の矢印を外向きから、内向きにひっくり返すことができるようになる。
実は私も数日前から、「うーん、まいったなぁ」と思う「問題」が起きてね。
最初の私の反応、湧き上がった思いは、
うわ、どうしよー(怖っ)だった。
心臓の鼓動がバクバクと増すのがわかって、
なんか私の手には追えないようなことが起きてしまうんではないか、という
未来への不安が真っ先に沸き上がり、
でも今現在、そのことについて具体的に何か行動を起こすことはできない感じ。
そこから関係各位のやりとりを重ね、
次第に、何が起きてるのかが少しずつわかってきた。
わかってくると頭が少しほっとするよね。
わからない、という状態が頭にとっては一番の脅威だから。
それでも、私の意識はまだ「問題」の中にいた。
そしてこれからどうなるんだろう、、、という未来の不安を感じてた。
こういう「気がかり」なことが起きるとさ、
ふとした瞬間に、すぐにそのことが頭をもたげ、
思考レベルで「どうすればいいんだろう、、、」と考えてしまうんだけど、
その度に重たい気分を味わうから、
この思考は私にとって真実ではない、
今のこの思考のベクトルはソース(私の源意識)とは同調していないと気づき、
そのことを考えるのを一旦やめる、という選択を繰り返していた。
そして、この出来事から学ぶことはなんだろう?
という意識に切り替え、
その問いを自分の中に投げておいて、
気づきが起きてくるのを待つ。
今の私にできることはそれだけ。
そして、私は今ここを生きるしかない。
時間はちゃんと経過してくれて、
次第に、次第に、
これだ!というのが掴めてきた。
それは、
私の中に確かに存在するズルさや損得勘定、
そして他責にして逃げたくなるような心。
うーん、これだこれ。
これを再び見つけて、まだあることを認めること、
そして、これを手放す選択をするかどうかを決めること。
あぁ、、、今ここで、こんな大事なことに気づかせてもらえたこの出来事、
まじで感謝じゃん、、、。
そう腹から思えた。
そしてハートからありがとうと言えた。
頭に主導権を握られていた当初の状態から、
次第に、腹とハートに主導権をまかせることができた、そんなプロセスだ。
今現在、その問題はまだ解決していない。
でも、私はもう、その「問題の中」には存在していない。
これがすごく大事なポイント。
かのアインシュタインもいう。
どんな問題もそれを創り出した時の意識レベルでは解決できない。
これは、バシャールもエイブラハムもハッピー理論でもそう。
問題を創った時の周波数(思考のパターンや感情)では、
決してそれを解決はできないんだ。
問題と解決の周波数は違う。
問題が起きた時の思考と感情は、
相手を恐れたり、相手を責めたり、自分の正当性を主張したり、
そして不安や後悔、攻撃と防御。
でも、解決の思考と感情は、
自分を認め、自分を許し、相手を認め、相手を許す。
そして絶対的な安堵感と感謝。
ね、雲泥の違いだ。
問題だ問題だと恐れ、焦り、力づくで行動しても、
それは問題との対立を残したまま、パワーゲームでことを終えていく。
それは根本的な問題解決にはならない。
なぜなら、その出来事を創造した自分のうちなる対立が終わってないから、
また、人や時を変えて同じような出来事を創造するんだ。
つまりパターンから抜け出せないってこと。
だからこそ、
今ここで、
私の周波数を、真の解決の周波数に同調させていくことが重要。
すると何が起きてくるかというと、
まずは、
あ、これは問題なんかじゃない、と思えるようになる。
すると、
ものごとが勝手に解決していくか、
もしくは、
解決のためのアイディアが湧いてくるか、
というプロセスに進む。
私は今回、幸いにも感謝の領域まで波動を高めることができたし、
今は、その出来事に関連した存在すべてに、ありがとう、と心から思えている。
そして、
私の中のズルさや、損得をはかったり、
他責にして逃げたくなる思考の癖、在り方そのものを、
今一度見直し、
今後はもう、
それによって選択することをやめていく、
と決意を新たにしたから。
私にできることは、
今ここで安堵し続けること。
私は信じてる。
今回の一件は、必ず三方よし、四方よしで終わる。
そう願い、望み、未来を創造していく。
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