個人セッションのクライアントさんからのご感想を掲載します。
ご感想の掲載にご協力いただきありがとうございます。
※ご本人の許可を頂いています。

親との関係性、特に介護中の母の父への接し方にザワザワしていました。
日頃から人の話を聞くことが多く、自分の話も聞いてもらいたいと思ったことと、
円満ライフメソッドを受講した妻の勧めもあり、彼女がドンドン変化している姿を見ていたのでハルちゃんのセッションを受けてみたかったため申込みました。
今回のセッションで「愛は煩わしくなくてはならない」というビリーフを持っていたことに気づきました。それは、自分の家系で当たり前となっていた人との接し方でした。
自分はそうはしていないつもりだったけど、やはりそのビリーフを持ち行動していたことがわかり、今では自分の行動、態度を俯瞰して見られるようになりました。
そして、気づくたびに、「愛は軽やかでも煩わしくてもどちらでも良い」を意識しています。
さらに、今後は「愛は軽やかでもいい」と思え、それを選べるようになること、そして家族に対してもストレートにそれを表現し、現実もそれに即した形になるとイメージしています。
ハルちゃんの寄り添い力に感服しました。 常にクライアントの本当の心ががどうなりたいのか考えてくれていると感じました。
N.K(50代男性)果樹農家
愛は煩わしくなくてはならない。
この言葉、一瞬「ん?」って感じがしませんか?
ここでの「愛」とは、
愛すべき人との関わり方、
つまり家族との関係性を意味しています。
なので、
愛すべき家族との関わりは煩わしくなくてはならない、
こんなふうに思い込んでいた、ということなのです
「そんなわけないよー」と思いますよね。
でもね、これが「思い込み」ってものなのです。
つまり、顕在意識(普段の考え)では思いもしないことが、
潜在意識と呼ばれる無意識の領域には、実はたくさん刷り込まれていて、
それが人生の「あらすじ」として設定され、
私たちの生活に強い影響を与えてしまっています。
今回のクライアントさんも、
これに気づかれた時、軽く頭を抱えてらっしゃいました。
そして、あぁなるほど、と合点がいったという表情をされていました。
さて、今回のクライアントさんのように、
「愛」=「親密な人との関わり方」にまつわることに、
思いがけない言葉を当てはめてしまっているケース、
実はすごくすごく多いのです。
それは、幼少期から思春期(0歳から14歳程度)の親との関わりに起因します。
ひとつの例として、
親の過干渉や、親の価値観によって縛りつけられ嫌な思いを繰り返してしまった場合、
愛とは重たいものだ、
愛とは自由を奪うものだ、
愛とは我慢だ、のように、
親の関心、つまり愛を受け取ることは自分にとって不快なものだと思い込んだりします。
さらに、
私の思いはどうせ聞き入れられない、
私が自由に振る舞うと怒られる、
といったように、自分の行動にも制限をかけてしまうことも多いです。
だからこそ、
大人になってから異性とのパートナーシップにおいて、
またあらゆる人間関係において、
警戒して一線を引いてしまうような関わりになり、
親密な関係性を築きづらく悩みを抱える、
つい相手のペースに合わせてしまい自分の思いを我慢しやすい、など、
私たちが普段感じやすいモヤモヤ、ザワザワの原因になっているというわけです。
今回のセッションで取り扱ったケースのように、
愛とは煩わしいものであり、むしろそうでなくてはならない、という思い込みによって、
これまでご家族間に困りごとや煩わしさがなくならず、
いや、むしろそれが愛ある関わりなんだ、と無意識に思っていたことで、
今の現実を創り続けていたと気づかれました。
気づくことで意識的になれます。
今後、家族間でのコミニュケーションにもっと軽やかな愛のエネルギーが流れ、現実に変容が起きてくるでしょう。楽しみですね!
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