『おだやか家』の食養生

心・身のこと

<2011-08-25>

朝から38ファームへ。

そろそろ、にんじんの収穫を終え、
秋野菜に備えて土作りに励まなくちゃいけない。

っていうか、あんなちっちゃな一粒の種から、
こうしてにんじんができるんだから。
いやいや、命の潜在性ってすごいよねー。

掘りたてのにんじんは、土の匂いがツンと鼻をくすぐる。
華美じゃない甘さがたまんない。

さぁ、この日も収穫を抱えて実家へ向かおう。

実は、母が「玄米を食べてみたい」と言うようになったから、
圧力鍋を買ってあげて、ゴハンの炊き方を教えに行くんだ。

欲を言えば、父も一緒に食べてくれればいいんだけど、
戦後で苦労した世代の典型で「玄米なんて食えるか」思考なので、
そこは無理することもなく、母は自分の分だけ炊くことになる。

とはいえ、白米も玄米も、好きなほうを食べれる選択肢があるって
いうのも悪くない。

圧力鍋の取り扱いから、玄米の研ぎ方、水加減、
昆布と塩をひとつまみ入れる、などコツを伝えながらメモに書く。
メモは冷蔵庫に貼っておくらしい。

思いのほか圧力鍋と格闘。
重さもあるしねぇ、蓋の開け閉めに手間取っている。

かみ合わせる目印も、このところ急激に視力が低下
したから見つけずらい。

そうそう、数日前、ちょっと神妙な声で電話してきた。

何があったのかと思ったら
「今度は、目の手術をしてくるよ」と。

抗がん剤の副作用か後遺症か、
最近、目がほとんど見えなくなっていた母は、
ようやく通いつけの眼科に行ってきた。

白内障が急激に進行したらしい。
ということで、9月に入ったら続けて両目の手術。

「もうイヤになるわー」って言う母に、

「70年以上も使ってれば目も疲れるわ。
 いいじゃないのー、いろいろ修理して、お母さんは、
 どんどん元気になってんのよー」

と笑って答えた。

本好きの母がいま一番読みたい本は、
佐野洋子さんの『死ぬ気まんまん』らしい。
この間は、瀬戸内寂聴さんの『源氏物語』を読んでいた。

なかなか、通な選択だよね。

そして、私もお母さんに読んでもらいたい本がたくさんある。

術後、期待通りに視力が回復するならうれしいけど。
白内障の手術ってよくきくけど、どうなんだろうなぁ。

さて、この日は玄米に合わせて、ゴマ塩と、
お母さんが好きな小豆カボチャを作りおき。

IMG_3732_2011082421233<br />1.jpg

ゴマ塩は、黒ゴマ:塩=10:1 の基本レシピ。
丁寧に炒ってからすり合わせたごま塩は、
玄米には欠かせないひと品。 

IMG_3731.jpg

小豆が煮えたところへ
カボチャを並べ入れる。

この日は甘さを足すことなく塩煮でつくった。
カボチャの甘みで十分だし、
でも、おやつにしたいな、ってときは、
はちみつをちょっとかけると美味しいんだよー。

あと、根菜と海草が欠かせない。
蓮根とひじきの煮物、
ゴボウとにんじんのキンピラなど、
マクロビオティックの教科書1ページ目、ってな
メニューを作ってきた。

高齢の夫婦ふたりの食卓は、
どうしても、買ってきた惣菜が並ぶことが多い。

シンプルでいいから、手作りでやさしい、
滋養となるものを食べてもらいたい。

こういう「養生」を心がけることって、
とても大切だと私は思う。

「健康で長生きすることは、決して養生の目的ではありません。

 いかによく生き、いかによく死ぬか。
 そして生命の質をどれだけ高めることができるか。

 それが養生の目的です。
 健康や長生きは、その手段でしかありません。」

これは、帯津先生の著書にあった言葉。
すごく納得したし、まさに、って思ったんだ。

養生って、生を養う、ってことだもんね。

食養生も、何を食べるか、どう食べるかが、
目的のようになってしまいがちだけど、
それは手段であって、本質は別のところにある。

これは、ヨガにも通じることだよね。

本質は、「いかによく生き、いかによく死ぬか」
それだけな気がする。

炊きたての玄米に、ごま塩をかけ、
小豆カボチャを食べた母のひとこと。

「これがあれば、なんもいらんねー」って。

ははは、私はあなたの娘ですなぁ、
いつも同じことを言ってます。

Om Shanti.

続く↓↓↓

提供 サービス

▼ オンラインセッションルーム「Wellbeiong」はこちらをご覧ください。

心・身のこと死ー両親との別離
新開 晴美をフォローする
ゆるしいろ

コメント

タイトルとURLをコピーしました