内なる種を発芽させるときの勇気

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昭ちゃんのセッション2回目では、
私の存在の軸、Beingのコンセプトを探る旅に出た。

提案された方法は、

人生のライフラインを描き、
その中からハイライトとローライトの出来事を選び、

その体験をスケッチしてから、
そのスケッチに合わせたOSHOカードを引くというもの。

そして私の人生の物語に耳を傾けてもらいながら、
出てくるストーリーと、

その体験のエッセンスは何だったかを導き出すというもの。

ワークに入った私の脳裏に最初に浮かび上がった人生のハイライトは、、、

悟りへの渇望

<ヒマラヤでの修行>

これは、2007年、今から13年前、35歳の時に行った、
ヒマラヤの麓にあるシヴァナンダアシュラムでの体験を描いたもの。

豊かな自然の中を流れる、
エメラルドグリーンのガンジス川を前に、
ヨガの修行の場(=アシュラム)で過ごした1ヶ月間。

ヨガでは聖音と言われる”OM”、
それを「悟りのモチーフ」として探求していた時期。

悟りのために、ひとりでインドのヒマラヤまで行った。

これが私の人生の1番のハイライトだ。

この絵に描いた通り、

私の頭の中には、
光の中に宇宙根源の音であるOMがあり、
そこに進むことしか興味がなかった。

ガンジス川への沐浴

その中でも、私にとって最大の体験は毎日の沐浴だった。

ヒマラヤの麓、こんな辺境の地の不慣れな環境、英語漬けの日々、
夢中で過ごす中でも、恐れや不安ばかりが先立つ私、

脳も身体も疲れ切っているのに、
気が張って眠れない日がたくさんあった。

そんな中、朝4時ごろ目が覚めドミトリーのベッドを一人抜け出し、

頭には日本から持って行ったヘッドライトをつけ、
ガンジス川のほとりに一人立つ。

満天の星空と月明りだけ。

もちろん誰もいないその空間で、

私はひとり岩場でヨガをして瞑想して、
そして準備ができたらマントラを唱えながら河に足を踏み入れていく。

それがもう、、、

死ぬほど冷たいのだ。

季節は10月から11月。
日中は日差しも強く暑さを感じるほどだったけど、

朝晩の冷え込みは半端なかったな。

それでも私は、

毎日毎日、自分との約束を果たすために早朝ひとりでガンジスに入っていった。

当時を思い出し出てきた言葉は、

・至福感

・プライド

・優越感

・誇り高き自負心

あの頃、日本でヨガ教師になろうとするプロセスで、
仲間との比較で強い敗北感を覚えたり、挫折を経験してた時期で、

だからこそ、

「私、インド行ってきます!!」

みたいな、突き抜けた行動に出たという背景もあった。

「みてろ!私だって!!やってやる!!」

みたいな思いが根底にあったな。

そんな思いが、ヒマラヤの麓ですら発動してて、

私は人とは違う。

誰もやってないことを、
私は自分の意志で自分で選んでやってるんだ!

それは悟りへの真剣さなんだ!

誰も起きていない、早朝のガンジス川での体験は私だけのもの。

そして、毎日沐浴をすると決めたから、絶対にやる!

そんなストイックさ全開だった。

だって、それをやることで本気で悟れると思ってたから(笑)

今では笑い話だけどね、本気だったのよ。

でも、この思考がもっとも悟りから遠く離れたものだって気づくには、
まだまだ時間が必要だった。

あの頃、理解したのは、

あの冷たいガンジス川の中で、
深い呼吸を流し、
震え緊張する自分を緩めることで、

しだいに、河の水と一体になり、
身体の痛みが薄れれていく。

いや、麻痺だったかも(笑)

身体感覚に委ねていれば、命はおのずとバランスをとる

河原を歩く日々の「ウォーキングメディテーション」
歩く瞑想のプラクティス中でもたくさんの気づきがあった。

一歩一歩、歩みを進めるなかで、
足場が緩く、ガクっと岩が揺れることがある。

そんなときこそ、

一瞬の出来事に細心の注意を向けておけば、

ガクっと揺れた瞬間に、
身体的な緊張が起こる瞬間に、

力を抜くことができる。

すると、身体は自然とバランスと整える智慧を持っている。

だから、決して転ばないし、ケガもしない。

あぁ、そうか。

今に意識を集中して、
同時にリラックスしているということの恩恵はこれだ。

身体感覚に委ねていれば、
命はおのずとバランスをとることができるんだ。

そんな風に思ったことを今でもはっきり思いだせる。

大いなるゆるし

アシュラムには、世界各国から30名ほどの人が集まってた。

もちろんすべてのプログラムが英語で行われ、
仲間も英語でコミュニケーションを取っている。

簡単な会話ならまだしも、深く込み入った話はできなかった。

そんな中で、仲間外れにされているような疎外感を感じ、
輪に入れない孤独感、さらには劣等感。

ヨーロッパに4年近くも住んでいたのに、、、

もっと英語をしっかり勉強してればよかったと、
今更ながらに後悔が湧き上がってきて、
自分を責めるような気持ちでいっぱいになってた。

修行で張り詰めた緊張を、
夜になるとアシュラム内の売店でクッキーを買い、

それを一気に全部を食べ、
トイレで嘔吐。

過食嘔吐の症状がここでも発症してて、

そんな自分をとても汚れた存在に感じて、
ほとほと自分が嫌になってた。

そんなある日。

プログラムにあった浄化のレッスン。

古代のヨギーたちが行っていた古典的な浄化方法の中には、

例えば、

・鼻の中に塩水を流し込み鼻腔の粘膜を強化し浄化するもの

・鼻に細いカテーテルを差し込み、同じく粘膜を強化し浄化するもの

・口から絹の布を飲み込み、胃の中の老廃物を吸収させて取り除くもの

・そして、水を2リットル近く飲み、それをすべて吐く

というものがあった。(ぎょっとするでしょ?(笑)、でもこれ全部実習するのよ)

そして私は、鼻に塩水とカテーテルを入れるものはすでに日々実践していたし、

さらに過食嘔吐歴が長いもので、
この水を飲んで吐くがお手の物だった(!)

みんなで一斉にそれを実習する場で、
私の浄化のわざは誰よりも素晴らしく、

先生がたは、口々に「エクセレント!!!」と褒めたたえてくれた。

もう、天地がひっくり返る体験だった!

これまで、あんなに自分を苦しめ、自分を責め、恥ずかしい行為だと思っていた嘔吐が、

インドの僻地に来れば、浄化法として、そしてエクセレント!って褒められることだったなんて!!!(笑)

私に、大きなゆるしが訪れた瞬間だった。

そしてあの時はっきり理解したの。

私は、受け取り難いことを、吐くという行為で自分を守っていたんだ。

自分がもう抱えきれないストレスを感じたとき、
食べて吐く、という行為によって安堵感を抱いてたんだって。

それがしんどい環境の中で私を生かす、
どうにかこうにか見つけた自分なりの対処法だったんだって。

実際、あの時を境に、過食嘔吐は改善に向かっていった。

そしてあれから数年たったころ、過食嘔吐のカウンセリングをしていたとき、

この話をみんなにウケた!!

あの頃、私の元を訪れてくれたクライアントさんたちは、

「吐くのを許そう」「吐いていいよ」「必要だから吐いてるんだよ」

という私の言葉を聞いて、きょとんとしながらも、
それから回復に向かう方が多かった。

すべてはゆるしだ、と強く感じた一件だった。

命は混沌としたものである

アシュラムに1ヶ月滞在した間。

私は聖なる修行をしつつ、内側はひどく葛藤してた。

聖なる学びの裏で、優越感と劣等感の間で揺れ、

疎外感や孤独、不安や後悔に苛まれ、

自分なりの限界突破でありチャレンジだったけど、

猛烈に怖かった。

清らかだったし汚れてた。

そこには、ゲイもレズビアンもいて、人種も肌の色もみんな違くて、

でもそこにいる誰もが、ただただヨガをし瞑想をし、哲学を学び、という状況。

私にとっては、ヨーロッパで生活をしていた時以上に、
違いの中の共通項みたいなものに触れた気がした。

目に映る風景はそれはそれは美しいもので、

ヒマラヤへのトレッキングをすると、

あぁ、ここには間違いなく神がいると実感したり、

そこかしこにいる、世を捨てたサドゥーたちの暮らしぶりを見ては、

ほんとにこんな人がいるんだな、と存在を実感したり。

まぁ、とにかくすべてがカオス、

命とはこの混沌の中にあるものなんだ、と肌で感じた。

実際、アシュラムでの1ヶ月の修行を終えた後、
北インドをひとりで旅したときもまた、

カオス、混沌、の中の秩序を感じずにはいられなかった。

OSHOカードは<COURAGE>

このスケッチと、
私が体験したストーリーを表すOSHOカードは、

<COURAGE>

「勇気」

もうまさに!な1枚であり、
私が描いたスケッチとまったく同じカラートーン。

あの体験は、私にとっての「勇気」の結晶だった。

さっきも言ったけど、

仲間との比較で私はひどく落ちぶれた気がしてて、

だからこそ、

一発やらなきゃ!!

みたいな(笑)

私の人生をひっくり返すために、

自分の殻をぶち破るために必要な行為だったんだ。

だって、インドに一人で行くなんて、本当に怖かったんだもん。

でも、決めていったんだ。

だからこそ、私の人生のハイライト。

カードからのメッセージ

そして、このカードからのメッセージはこう。

道に咲く小さな花は、それが花開くまでに岩や石の挑戦を受ける。

でも、その小さな花は、自分の命の尊厳をさらしていく。

非常に困難な状況にあったとき私たちには選択の余地がある。

・この困難をひとのせいにして、腹を立てることもできるし、

・この挑戦を真正面から受け止めて成長することもできる

生きていくうえで、数々の困難、その挑戦に対して、
抵抗したり避けて逃げて、拒絶しても意味がない。

そこに種があるならば、そしてその種が、花を咲かせることになっているならば、私たちは、岩や石の挑戦を通り抜け、進んでいかなくてはならない。

その咲くべき花になるための勇気をもって、成長していかなくてはならない。

でも、種のうちはその挑戦に挑まなくてよく、とても安全だ。

そして自分がどれほど美しい花を咲かす力を秘めているかなんて知る由もないし、信じることもできない。

でも種は発芽に対する夢がある。

だから太陽へと、光の源に向かって、旅を始める。

そこには多くの勇気が必要になる。

そう、私たちの人生もまた同じ。

今のままでいるほうが安全だと感じてしまって、
挑戦することをひどく恐れてしまうことあるよね。

エゴは現状維持が大好きなんだ。

今のままでいたいという。

でもね、心の奥底に眠っている「内なる種」がささやいてくる。

今のままじゃいやだ。

芽吹いてみたい。
成長してみたい。
花開かせてみたい。

種のままでいいわけない。

それは命の営みとして、
内側で当然のごとく求めてくるものなんだ。

私は、そこに一歩を踏み出すことを恐れいている女性たちに、
勇気をもって殻を破り、発芽に踏み出す喜びを伝えたい。

そこには、命の混沌さ、
二元なる現象が起こることも承知の上で、

むしろそれを体験する醍醐味を伝えていきたい。

だってそれが生きるということだから。

命の自然な営みだから。

そしてその混沌がなんと愛おしいものだろうと思うから。

続く↓

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