最もやりたいことをする前に最もやりたくないことをすることになる

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昨日、心友のしょーちゃんこと、炭屋昭一郎さんの主催する新月の対話会に参加した。

しょーちゃんとはなんだか話が合う。ノリが合う、という感じかな。

それは彼が常に本質に目を向けているからだと思う。

そして私も、本質に強い好奇心と興味がわく。

月1で開催されているこの対話会のメインテーマは「死と再生」や「変容」にまつわること。

先月のテーマにも惹かれて参加し、今月も参加することにした理由は、

今月掲げられた「最もやりたいことをする前に、最もやりたくないことをすることになる」というこのテーマ、

実は以前、彼のWSに参加した時に私が放った言葉だからだ。

あの時、しょーちゃんは「なるほど、、、それは確かにそうかもしれない」と感じ入ってくれて、

私の考えに耳を傾けてくれた。

あれから時間が経過し、昨日の場では、しょーちゃん自らこの言葉を体験したストーリーを語ってくれた。

その洞察に私もまた感心し、まさにそうだね、と私の洞察も深まった。

「最もやりたいことをする前に、最もやりたくないことをすることになる」

私がこの言葉を実感したのは、前夫との離婚の時。

私は2019年3月に一度目の離婚をして、すぐに復縁、再入籍。

そして2021年3月に再び離婚、そして5月末にひとり福岡にきた。

私の世界から見た話である、ことを前提に、

この「最もやりたいことをする前に、最もやりたくないことをすることになる」をテーマに書いてみようと思う。

再入籍してからの私たちは、関係を修復するため、互いを思いやりながら歩み寄っていたと思う。

彼はそもそも、ありのままの私を愛し続けようと努めてくれる人だったし、

私は私で、ありのままの私を受け入れ、ありのままの彼を愛するよう自己探求に没頭していた。

そんな中、自分を知れば知るほど、私が最もやりたい「自由と自立」を実感するために、

彼と離れて生きてみたい、という思いが芽生えてしまいそれを伝えなくてはならない日が訪れた。

これは最もやりたくないことだった。

そりゃそうだ、死ぬほど怖かった。

とはいえ、残りの人生を本当の自分で、本音で生きたいと願ったし、

今、心から惹かれる人と惹かれる場所で生きていたいと願った。

もう彼の前で感じる無力感や罪悪感に苛まれて生きるのも嫌だった。

彼を鏡にしていると、私のシャドウであるそこが疼いちゃうんだ。

劣等感を感じるからこそ、彼に勝とうとしてしまうし、

彼を信じて身を委ねることができない自分に出会ってしまう。

私は最もやりたいことをやるために、最もやりたくないことをする必要があった。

それは執拗に自分を責め、ここにとどまれと守ろうとする自我と向き合うこと。

行動ベースでやりたくないこと、私は彼に自分の思いを伝えた。

そして内的には、彼をはじめ、他人から思われるであろう(と思い込んでいる)自分勝手で自己中心的で、残酷で卑怯な私を受け入れるということ。

自分の無力さや根深い罪悪感があることを認め、それを映し出し続ける関係を終わらせること。

私は私の受け入れ難い側面を受け入れざるを得なかったんだ。

離婚したいという思いを彼に伝えた後、彼はその事実にひどく憔悴したし、もちろん抵抗した。

自分勝手だ、自己中だ、ひどいよ、残酷だよ、卑怯だよ、と私に言った。

それを全て、その通りだと受け入れることを私はやった。

私は丸裸になって本音を伝えることしかできなかったし、

丸裸になった分、武器すら手放し自分を守ろうとしなかったから、彼を責めることも、言い訳することも極力せず、結果、激しい言い争いにもならなかった。

彼が私をジャッジしたいようにジャッジしてもらい、その側面は確かにある、と受け入れ、はい、確かにそうです、と言い続けた。

自分で受け入れれば受け入れるほど、彼にそう指摘されても感情的になることはほとんどなかった。

おおむねマインドフルネスの状態をキープして、自分の源と繋がりながら対話ができた。

どうであれ、人がこれまで安住していたコンフォートゾーンを抜けていく時、

自我=エゴは全力で止めようとする。

そんなの無理だよ、さすがにやばいでしょ、ひどいと思われるよ、どうなると思ってんの、、、。

こんな言葉が頭の中で駆け巡る。

そして、変化や変容を恐れ、必死で阻止してくる。

自我にとって、コンフォートゾーンを抜けていくことが、最もやりたくないことだから。

でも、私は自分の本望、本音に到達してしまった。

そして、本当に怖いけど、自由と自立を実感できる人生を創造する力が私にある、と信じ、

実際にそれをやってみるというチャレンジに向かうことを私自身が許可をしてしまった。

つまり、私にはできる!と自分を信頼して、コンフォートゾーンを抜けていくしかなかったんだ。

エネルギー領域の話をするならば、

私の本望、本音は「女性性」、自我を「男性性」とみなすと、

私の内なる女性性と男性性の対話が繰り広げられ、

女性性の望みに対して、男性性がGOをだし、全力でサポートしてくれたからこそ、

彼に対して、最もやりたくないことをする勇気をくれた。

結果どうなったか。

私とのことに憔悴しきった彼の中に気づきが訪れ、そこから彼は新しい出会いへと導かれた。

すぐに新しいパートナーと恋に落ちたのだ。

そして、私の要望を条件付きで受け入れてくれた。

それは慰謝料という形で責任をとってほしいと。

私は、これまた、最もやりたくないことを目の前に提示され、自分にとっては途方もない金額の慰謝料を背負いながら離婚に踏み切ることにした。

でも、その金額すら、未来の私を信頼し払うことができると信じる力が私には必要だった。

私が彼と暮らしていた家を出て、すぐに新しいパートナーがその家に来てくれて、彼らは今とても仲睦まじく暮らしている。

今の彼には私より彼女の方がずっとふさわしい。

さらに新しい彼女から、はるさんと友達になりたい、と連絡を受け、もちろん快く繋がった。

むしろ、彼女と私にも深い縁があったとしか思えず、あとはよろしくね、と思えた離婚劇だった。

こうして、離婚というドラマの中で、

私は「最もやりたいことをする前に、最もやりたくないことをすることになる」ということを実感したんだけど、

これは、日常の些細なことから言える一つの法則に近いものだと思ってる。

コンフォートゾーンを抜けることを望むなら、

これまでの自分の当たり前を超える必要があって、

それは「やりたくないな、めんどくさいな、怖いな」と感じることだったりする。

それをやってみることで、新しい世界が広がってくる。

そして私はこう思ってる。

実は誰にとっても、最もやりたいことは、「自分を丸ごと肯定し許し愛すること」だと。

そして、自分を丸ごと肯定するには、受け入れ難い人格的な側面を受け入れるという、最もやりたくないことをすることになるんだと。

私は、自分勝手で、自己中で、卑怯で卑劣で残酷でひどい側面もある。

でも、他人思いで、愛情深く、思いやりがあって慈悲心に溢れる側面もある。

それが私だ。

私が私でいるためには、その両側面があることを許し、全側面を受け入れ全体性で生きることだと、今の私は捉えている。

これが為された時、誰かの一側面を責めたり、批判したりすることがものすごく減る。

だって、私にもそれあるもん!わかるわかる。

でも、そうでない側面もあるよね。

そうやって、他人のあらゆる側面に意識が向くようになると、

「ないにフォーカスする意識」から「あるにフォーカスする意識」に反転することを実感してるんだ。

昨日の対話会は、次の予定があり途中退出したため、他のみなさんの話を聞くことができず残念だった。またこんな深いテーマで自分の思いを表せる場に参加したいと思う。

しょーちゃん、昨日ご縁のあったみなさん、ありがとうございました!

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