プロセスすべてを「無力感」をエネルギー源として動いていた

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今朝、目が覚めたら

「あなたがたは、なぜそんなに自分を無力だと思うのですか?」

そんな声が聴こえて、

へ?

ってなった。

私は以前から、目が覚めた瞬間に「聴こえる」ってことがあって、
それはいつも大事なメッセージだったりする。

そこからベッドの中でもう一度、目を瞑り、呼吸に意識を向けた。

その声の主は女神ガイアだった。

「なぜ、自分を、無力だと思うのか」

無力。

この数年、私は何度自分の「無力感」と向き合ったかな。

それは長年、私の中に在ったもの。
確かにあった。

それがあの日を境に、
如実に、しかも顕在的に強く実感するようになった。

それは、2011年3月11日、東日本大震災のとき。

私は当時、東京の足立区に住んでいて、
震災の瞬間は、東日本橋のヨガスタジオでレッスンをしていた。

14:46

本来、14:30に終わるはずのレッスンを、
いつも通り(!)時間を押して終了する瞬間。

最後のマントラ、OM Shanthi, Shanthi, Shanthi…

と、自分と他と世界の平安を願っているその瞬間、

大地が揺れた。


生徒さんの安全を確保するため、

私はみんなを誘導しスタジオから出て、

ただ手を取り合い、肩を寄せ合い、
不安に包まれながら立ち尽くしていた。

皆、怖れていた。
いったい何が起きたんだろう。
きっととんでもないことが起きたに違いない。

あの時の私は、

「確かに、今、この瞬間、
とんでもない現実に直面してる人がいるかもしれない。

だからこそ、今ここから祈ろう。

私たちは今ここに生きてる。
大丈夫、大丈夫。」

そう生徒さんに言いながら、自分に言い聞かせるようにし、

同時に、私が唱えた平安への祈りの瞬間、
大地が揺れたことにひとり傷ついていた。

その後、

地震、津波による被害を目の当たりにし、さらに未曽有の原発事故。

足立区はホットスポットとなり、
私は完全に被爆し、一時、声が一切出なくなって、

その後、見たこともないような色の痰を出し続けた。

数日後、私は、山梨県に移動し、
東北に物資を送るボランティア活動に専念した。

知れば知るほど、
これからの私たちは、甚大な量の放射能とともに生きる、

ということを痛感させられ、

そしてこの現実を創ったのは、
他でもない、これまでの自分の生き方だったと思い知らさせた。

原子力発電、それを支えてきた、政治、経済、金融システムの癒着。
陰謀論と言われる事柄のすべて、社会全体への無関心がその温床だった。

それまでもうっすら気づいていた、
「既存の社会」への違和感がマックスに膨れ上がり、

山本太郎氏、三宅洋平氏、が出馬したことによって、選挙活動にも目覚めていった。

国会前のデモに何度も足を運び、既存政権に反発する人たちのエネルギーを肌で感じ、
私もともに活動した。

同時に、これまで自分のライフワークとして続けていた、ヨガ、マクロビオティック、インド哲学の学び、そして農へと、舵を振り切って邁進していった。

今振り返るとわかる。
このプロセスすべてを「無力感」をエネルギー源として動いていたと。

世界のことを知れば知るほど、

どう立ち向かっても、
そこに立ちはだかるものが巨大すぎた。

何をやっても無駄なんじゃないか、という、
自分の存在のちっぽけ感に打ちのめされる日々だった。

だからこそやらなきゃ!

そんな思いに突き動かされるようになってたな。

YouTubeやネットで情報を漁るように見て、
見れば見るほど、闇の深さが深遠で、
いったいどうすれば、世界は平和になるんだ、、、。

そして行きついた先は、
やっぱり個々の内面で平和を実現するしかない。

内なる世界が外の世界に現れているだけ。

外の世界は、私の力ではどうにもならない。
でも、自分の中なら、どうにかなる。

そんな気持ちでいっぱいだった。

そこから私は農業に没頭していく。
しかしそこでまた、植物の力、自然の力に打ちのめされた。

感じたのは同じ、無力感だった。

続く↓↓↓

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