夏至の日に、思いがけずZepp福岡の舞台に立つ体験をした。
いや、本当に、思ってもみなかったことだったのよ。
ただ、望んでたことではあった。
この身体を使って、内なるエネルギーを表現したい、
という望み。
これまで、
舞をやってみた、
フラダンスやフラメンコにも関心をもった。
ゴスペルや歌も歌ってみた、
舞台ではね踊る経験もした。
そのプロセスで、
最高の気分を味わったのは確かだけど、
私にとってそれは永続的ではなかった。
つまり、
飽きた。
そこに継続的に愛は注げなった。
だからこそ、
今度はどんなカタチで、
私が興味、関心示せるものが現れてくるのか?
そんなことを思い、
なんか楽しいこと起きたらいいなーと望み、
未来に期待して、
あとはほっといた。
それがどんなカタチで現実化するかなんて、
考えもしなかった。
この、考えないこと、実はいちばん大事。
望みという、女性性の力を使った願望を放ち、
ハートの震えに従って、
それが未来に起こることを、
男性性が許可を出した瞬間、
内なる女性性と男性性のまぐあいが起こる。
そのエネルギー的な内なるセックスによって、
現実という創造物が誕生する。
クリエイションが起こるんだ。
願望という種は、
時を経て発芽し成長し、
実をつける。
そのプロセスを自然に任せておくの。
自然農をやってたとき、
つくづく感じたよ。
命の芽吹きから、
成長、成熟のプロセスは、
人智を超えた生命の叡智だと。
それを待つペイシェンス、
日本語だと忍耐力になるが、
忍耐というと耐え忍ぶ感じがして私はイヤだ。
野菜の実りを楽しみに待つように、
その成長を愛ながら、
美味しい野菜ができるの期待して待つ。
未来の現実創造はこの感覚だと今は確信してる。
私はこの待つということが苦手だった。
私は時に、
まいた種をまだかまだかとほじくり返したり、
なんなら、発芽を急かし、種をかち割ろうとしてんじゃないか?って。
大丈夫なんだ。
事は起きてくるんだよ。
必要なことは必ず起きてくるんだ。
つづく
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