女性性と男性性、それはつまり、陰と陽。
女性性、男性性。
それはいったいなんなんだ。
そんな素朴な疑問から入った私の探求は、
2020年9月1日現在、
ひと言でいえば「陰と陽」に落ち着いています。
では「陰と陽」とはなんなんだ?
になると思うけど、
もうこれは、
宇宙万物の存在を司るエネルギーの質、
という言葉でしか言いようのない根源的な存在であり、
その存在を定義する概念だ。
陰と陽のエネルギーが思い込みにより抵抗を受けているから人生が困難なものになる
そして今の時点での結論からいうと、
女性性や男性性がなんなのかを深く理解して、
それを最大に活かし、
私たちの人生により良いものにしていくのは、
実はとても簡単なこと。
なぜなら、この「陰と陽のエネルギー」は、
すでに私たちの存在を司っているし、
むしろそれがなければ、ここで生きていることすらできないものだから。
つまり、すでに在るもの。
しかし、簡単であると同時に、猛烈に難しいとも言える。
なぜなら、
私たちには「思い込み」という信念、概念、ビリーフがあるから。
この「思い込み」によって、
私たちを司る陰と陽のエネルギーが「抵抗」を受け、
スムーズに流れないということが起きてるから。
この抵抗によるエネルギーの滞りや逆流が、
私たちの人生を困難なものにする。
そして、この思い込みを取っ払っていくプロセスが猛烈に難しいのだ。
なぜならそれらは、ほとんどが無意識であり、
自分にとってのルールや常識になり、
これはこういうのもだ、
それはそういうものだ、
という「決めつけ」の状態になっているから。
固定概念を取っ払うことがカギ
女性性、男性性、陰と陽、というものを深く理解するには、
究極的に「女」「男」「陰」「陽」に宿る
「言葉の固定概念」を超えていくことがカギになる。
ところで、さっきからさらっと言ってるエネルギーとはなんなんだ?
の話になるけど、
かのアインシュタインが言った、
その存在の重たさがあるところで、
その存在を存在たらしめるものこそがエネルギーであって、
そのエネルギーには動きがある、と。
動きとは「振動」であり「流れ」があるということ。
この振動や流れは、
それがそれであるために、
自然な振動数を保ち、
流れはゆくべきところへ自然と流れゆくものなのに、
その自然な振動や自然な流れに対して、
不自然さをもたらす「抵抗のエネルギー」がこの「思い込み」であり、
不自然な状態から自然な状態に帰っていくためには、
それを不自然たらしめてる「抵抗」や「逆流」をなくすだけの話なんだけど、
それが、私たちの心にある、多くの思い込み、信念、固定概念だから、
取っ払うのが本当に難しいんだ。
全方位に広がる思い込み「性と生と聖」
そしてその固定概念は全方位に広がっている。
私はそれを「性と生と聖の領域」と言ってるけど、
誰の中にも当然のように無数にある、
無意識であり強烈なパワーをもつ固定概念があればあるほど、
このエネルギーを自然に純粋に活用するのは難しい。
そしてこの固定概念が緩んでいけばいくほど、
例えば、
女性性、男性性、という言葉から、
女性、男性、という言葉が消えて、
性、という存在のみが残る。
では、性とは?
性質のこと。
なんの?
エネルギーだ。
女性性、男性性とは、実は単なるエネルギーの質のことを言ってる。
ではなんのエネルギー?
それこそ、陰と陽。
宇宙万物の存在を司る根源的なエネルギーである、
陰と陽の性質。
私たちがよく言う女性性とは、陰の質のエネルギー。
そして男性性とは、陽の質のエネルギー。
そして、まだまだある。
陰、と、陽、への固定概念。
陰は陰気、陽は陽気。
私たちはどこかで、
陰気はだめなもので、陽気がいい、といった概念がある。
これすら手放すんだ。
するとただただ、
誰の中にも、陰と陽があるね、ってことを認めることができる。
ここを腹に落とせば、
内なる女性性と男性性、陰と陽が、
宇宙を司る陰と陽のエネルギーに調和され、
おのずと統合へと導かれ、
その両方の質が、影響しあい、淀みなく流れ循環していく。
その流れは、
宇宙万物を司る極めて自然な流れ、
それはハーモニックエナジーそのものだし、
より良い方向に流れゆく、Wellbeing (ウェルビーング)そのもの。
今日も、ひじょーに概念的な話になったけど、
これが私の中で今、はっきりしてきた女性性と男性性を紐解く核となる話なんだ。
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