父と私

死ー両親との別離

2014.03.26

親子っていうのは、本当に縁深いものなんだろうね。

葛藤のない親子関係って、あんまりきかない。

多くの人が、多かれ少なかれ、親との確執、トラブル、満たされない想い、
残してますよね。

私もそうでした。

父は、私が小学校3年生くらいから、荒れ始めたんだよね。

もともと、どこからなのか私はわからないけど、

子ども心に、ギャンブルでかさんだ借金に追われ、その不安から酒量がふえ、
雪だるま式に、生活が苦しくなっていったんだろう、と思ってる。

働きづめの母とのトラブル。
母はもちろん、子どもへの暴力も増えていきました。

私はその頃から精神的に不安定になって、原因不明の腹痛頭痛を訴え、
毎週毎週、大学病院に連れて行かれ、脳波を撮りつづけてました。

アレルギーのじんましんも酷くなるいっぽうで、学校も休みがち。
4年から5年への進級も危ないくらいの出席数だったよう。

幸いいい担任で、フォローしてくれたのを覚えてるな。

でも、このころの家庭での記憶は、私にとってかなり苦痛。
その後大人になってからも、そうとうフラッシュバックに
悩まされました。

その後、16歳くらいには、もう過食嘔吐がはじまってた。
そして、最後に父に殴られたのは20歳のころだった。

本当に、言葉にはいい表せない感情が深く蓄積していった時間、
10年間のトラウマは、その後の私の人生にたくさんの影響を与えました。

その影響を無意識で受けてた20代は苦しかった。

そして、心身の不調がピークになった2005年。
33歳のときクリパルに出会い、自分の内面深くに意識をむけていく練習を
繰り返す中で、そのトラウマと関わらざるを得ませんでした。

最初は、その大きさに圧倒されて、飲まれっぱなし。
恐怖や怒り、羞恥心や罪悪感に潰されて、どうにもこうにも大変で。

親との関係も、表面的には取り繕ってても、実家からは足が遠のき、
都内に住んでいながら、会うのは年に1度、お正月だけ、とかね。

とにかく、本当にいろいろあったけど、結局のところ、
私はある時、思ったんです。

「もういやだ――――――――――!」と。

過去の出来事に影響を受け、今の自分の人生が幸福でないことが、
本当に本当にイヤで、

とことん嫌気がさして、もう十分、もういいよ!!!!!!、って(苦笑)

あれは2008年に受けてたクリパル教師トレーニング(YTT)の最期の
セッション、ヨガセラピーだったね。

フラッシュバックにのまれてうずくまって号泣してて、ふと気づいたら、
トシさんやまきさん、ディレクターたち、そして仲間に取り囲まれて。

その顔を下から見たときに。
本当に。
そう、心の奥深くから、「もうやめよう」って思えたんだ。

あれから6年・・・。

思ったほどすんなりは行かなかったけどね、
でも、少しずつ、少しずつ。

過去に引き戻される記憶。

そこから湧き上がる感情を落ち着いた心で見守る練習を、
ヨガのアーサナを通して、そして瞑想を通して、

自分のペースで進めていきました。

そしてある時、気づいたのが、

お父さんのことを、嫌い嫌い、イヤだイヤだ、と思っている自分って、
どんだけ、お父さんに対して執着してんだろう、ってこと。

ラーガもドヴェーシャ(好きも嫌悪)も心の執着。

手放せないのね。

結局のところ、私は父に対して、理想の、こうあってほしい父親像を
あてがい、そこから著しく外れてる父を許せず、

もっとこうだったら私は幸せだった。
お父さんがこうだから、私は不幸なんだ。

と、私目線で、父をジャッジしてるにすぎないのね。

そして、私が求めていることはとてもシンプル。

ただ、お父さんに愛されたかった、ということ。

お父さんに、普通の、友達のお父さんがしていたような、
子どもの目線で見てたステキな優しいお父さん像、
そうであってほしかったということ。

でも、父には父なりの事情ってものもあって、
彼も、相当苦しかったんだろうと思う。

このころかなー、インナーチャイルドワークやヒプノセラピーに
救いを求めたのは。

思いつくままにセラピーを受けたり学んだり、
自己啓発の本を読み漁ったり。

ホントにいろいろやりました。

でもね、結局のところ、
私はそこにある現実から目を背け、外側にあるもののせいにばかりして、
人生を自己責任で生きてない。

ってことを思い知らされた。

記憶にのまれて過去を悲しむ。
それを受け入れ、今を生きる。

私の前には、常にこの二つの選択肢が用意されているにもかかわらず、
私は、過去の習慣、心の癖によって、
前者を、自分を苦しめる方を、結局選んで生きてたんだ、と。

もう被害者であることから身を引こう。

そう思い至ったとき、私は、意識的に、
そして意図をもって後者を選ぼう、と心に決めました。

父のあるがままを受け入れようと思ったんです。

そしてそのプロセスに必要不可欠だったこと、
それは、私自身のあるがままを受け入れることでした。

自分を、心からゆるし受け入れ、愛することでしか、
父を受け入れるキャパは生まれてこなかったな、と思います。

あとね、こんなこともありました。

あれはちょうど母が亡くなる少し前の事。

あることで父は私に腹を立て、手を上げようと腕を振り上げたんだ。

その時、私はすごく落ち着いて、
父の胸に飛び込み抱きしめていたんです。

そして、

お父さん、もうやめよう、
私はもうお父さんに殴られたくないし、いがみ合いたくない。

みんな、お母さんがいなくなることを悲しんでるだけなんだ。

と。

すると、父は急に力を緩め、謝ってくれました。

あの時、この人の怒りのエネルギーを溶かすことができるのは、
愛しかないんだな、と悟りました。

あとね、今思えば、あれはよかった、と思うのは、
「他人のおじいちゃん作戦」(^^;)

つまり、他人のおじいちゃんと接するように、
精神的な距離を保つことで、私の執着を緩めてみようと。

おボケさんが進んできてた父に対し、そうだね、そうなんだねと傾聴し、
いいよ、と受け入れる関わり方をしばらく試してみました。

すると、私から反発のエネルギーを感じなくなったせいか、
ある時、父が変容したんです。

目の色が変わり、表情が緩み、優しくなってきたんです。

うーん、結局は鏡なんだな、と、あの時腑に落ちました。

私が観ているものは、つまり私なんだと。

父に現れている現象は、私の内面にあるものにすぎないのね、と・・・。

ふぅ。

振り返ると、いろんなことがあったな。

でも、こんな思わず笑っちゃうような小さな試みの連続が、
私と父の関係性を大きく変えて、

今がある、と思えるのです。

そして、先日、最後の一線を越えた瞬間がありました。

それは、病院へ連れて行く日の朝。
ベッドで横になったままの父の顔をタオルでふき、歯を磨いてあげて、
着替えを手伝い、そしてオムツをはかせ、うんちを拭いてあげたとき。

あぁ、私、こんなこともできるようになったんだ。

そして父は素直に、ありがとう、と。
受け入れてくれたんです。

これは、私を深く感動させました。

有難いことが起き始めてる、と実感しました。

すべては、大いなる力の恩恵のように感じました。

本当にね。

いつだったかな。

私はカズに、

「うちのお父さんは今生、何のために、
 どんな使命をもって生まれてきたのかな?」

って半ばうんざりしながら聞いたんだ。

そしたら、

「はるーたをヨガの道に導き、
 自分と向き合うようにするためなんじゃない」

と。

あぁ、確かに・・・。

あのひとがいたから、私はいまここにいる。
それは間違いないな、と。

そう思うとね、
やっぱり、感謝しか浮かばないのです。

最期の最期。

私は父のおかげでここにいる、と思うんだ。

そんな私からの父への贈り物。

それは、父の最期の思考を、感謝や愛の質で満たせるようにすること。

これはヴェーダの智慧です。
私たちはの最期の思考によって来世が決まる、という考えがあるの。

つまり、最期の思考は、生き様すべての集約だから。

そして、願わくば、彼が来世では健康な四肢をもち、
健やかな家族に恵まれ、普通に、愛を受けて、育てるように。

彼の来世が、今生より、もう少し穏やかな環境であることを。

願わずにはいられないんです。

今日、父は、母が亡くなった同じ緩和病棟に転床しました。

そこで過ごす時間が、また安らかであるように、
私は、見守るしかできないのね。

私にしかできないことが、きっとあるのね。

徒然に、

本当に、想いのままに、書きました。

ありがとう。

Om Shatni.

続く↓↓↓

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