2022年があけたとたん、
心動くことが続いていた。
正直、どこからどこまでが伏線なのか、でも全てのことは繋がっているし、
私の気づきと解釈が私にとっての真実だから、今日はそれを書こうと思う。
⏬第一話⏬
私は若かりし頃、
母のことを内向的で弱い女だと決めつけ、あんな生き方はしたくない、と肩肘はって生きてきた。
母に手をあげる父。
その母の前に身体はって、お母さんを殴るなら私を殴れ!と父に食ってかかってた私。
心根の優しい穏やかな母が、荒む父の言動を甘んじて受け入れてる姿に腹が立った。
何度も、あんな人とは離婚すればいいのに!と母に食いついた。
現実から目を背けるように仕事に精を出して、苦労ばかりしてかわいそうな人だと、母を憐れみ見下した。
でも母が亡くなっていくプロセスで、それが完全に誤解だったことに気づかされ、
なんて芯の強い尊敬すべき在り方を貫き生きた人だったんだろうと、ただただ母に謝り感謝した。
さらに潜在意識の探求を進めるにしたがってたくさんのことが明らかになった。
子供時代、生活のために働き続けた母に、些細な出来事から無視された、大事に思われてない、愛されてない、と思い込んでいたこと。
そんな傷つきの裏で、「私は母にはかなわない」と拗ねた劣等感を抱いていたことが見えてきた。
父との葛藤が目立つ私の人生において、”ラスボス的な存在”は母だったんだ、と。
さらに、母方に脈々と繋がる「女としての痛み」があることにも気づくことができた。
2022年の元旦、ここでそれがまた炙り出されたんだ。
というのも、
叔母と話をしたときに、母の最初の結婚相手の話題に触れた。
そこで叔母から聞かされたのは、
結婚している時の、その男性からの母への性的な虐待の話だった。
それに近しい話は以前も聞いたことがあったけど、今回の話は初めて聞かされたもので、私の心は強く疼いた。
そして、母のことをしきりに”かわいそう”という叔母の言葉を聞き、
私は、なんともいえない嫌な気分を味わった。
かわいそう、かわいそう、と”観測する”から、かわいそう”になっちゃうんだよ、、、そんなことを思いつつ、
私自身も、母を”かわいそうな人”だと決めつけていたことを、ありありと思い出し心がざわざわと震えた。
ここからは、歯の治療の話に飛ぶけど、
4日の朝、めぼしい歯科を見つけて予約し夕方治療に行ったら、
左奥歯の歯周病で炎症を起こしていると。
すぐに麻酔を打って切開して、膿を出す治療を行ったんだけど、
今回、歯周病になっている歯の、さらに奥の歯を私は数年前に抜歯していて、
奥に支えがないものだから歯の位置がずれやすく、
今回、炎症を抑えてもまた再発の可能性があるから、、、
と言われたとき、
私は数年前の抜歯を思い出した。
その歯を抜いたときの治療が本当にひどいもので、
まだ麻酔が効いていないにもかかわらず、無理に抜かれて悶絶し、
口のわきから唾と血を流しながら帰宅する間、
「なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ、、、」と悔し涙を流した。
そして、この「なんでこんな目に、、、」と湧き上がった言葉とその感情から、
私は、若い頃に体験した性被害を思い出した。
なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ、、、と、
あの時も身体から、心から血を流し、居た堪れない感情を抱きながら、悔しさで歯を噛み締め、
誰にも言えずに一人でその思いや感情を飲み込んでいた。
その痛みが、歯を抜いたことでどっと溢れ出た経験があった。
その時は当時なりに、
ことあるごとに自分を尊重せず、痛めつける選択をしがちなこと。
それによって、相手のことも尊重せずに傷つけてしまいがちなこと。
多くのことを人のせいにし、いつも文句ばかり言ってる自分。
そして、誰かを加害者にして、自分を被害者の立場にし、
同時に、相手を責め加害者になり、被害者をつくる、こんなパターンで生きることをやめよう。
そんな気づきと、過去の自分をゆるす、自分を愛するプロセスが進んだことを思い出した。
今回、治療することになった歯と、あの時抜歯した歯と、
母が受けた性的な虐待と、私の性被害の記憶。
その繋がりの意味を見出していく内観がはじまった。
続く、、、。
⏬第三話⏬
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