死ー両親との別離

<2011-05-19>

5月に入ったころ、
母が癌であると告げられた。

「子宮癌みたいなの」

最初、単純な子宮癌だと診断され、
全摘出手術でおさまるものと思った。

でも検査を進めていくと、まず肺への転移が見つかった。
しかも多数。そして子宮の状況もかなり悪い。

母の場合、ちょっと珍しいケースで、
かつ進行が予想以上に進んでいて、
残念ながら現時点では治療方針が決まらない。

セカンドオピニオンを得るために、
近々癌研へ行くことになる。

癌。

母が。

最初「他人事みたいだわ」という母に、
「私も」としか言えなかった。

はじめて主治医と会った日。

家族と別れひとりになったとき、
電車の中で周りの乗客を見ていたらぐっと涙が溢れ、
ひと目も気にせず、しばらくの間、泣き続けた。

お母さん、死んじゃうの?

親が死ぬなんて、
なんの特別感も悲劇感もないことじゃない。

だって、命にとって、それが当たり前のことなんだから。
それは、あらゆる人が体験する、共通の出来事なんだもん。

私たちは肉体ではない存在、意識だ。
死とは、ただその肉体から意識が離れていくことに過ぎない。

肉体への執着を手放すこと。
死を恐れず、受け入れていくこと。

理屈ではね、そう思えるんだ。
わかっている。

でもね、この感情はどうしようもない。

内側に大きなしこりができたような気分だった。
みぞおちがわしづかみにされたような気分。

今までだって、いろんな方々の死を耳にしてきた。

その都度、私は、お悔やみの言葉をいい、
当事者の気持ちに共感したような気になってた。

でも、私ははっきり自覚した。

私は、人の気持ちなんてわかっちゃいなかった。
誰の気持ちも、わかっちゃいなかった。

だって、今までこんな気分になったことなかったもん。
こんな、言いようのない気分。
こんな、変な気分。

今まで体験したことのない、こんな気分。

そう思ったら、私はとても小さな恥ずかしい存在に感じられ、
母の死を想像して泣いている自分に追い討ちをかけた。

情けなくて、
むなしくて、
恥ずかしかった。

あぁ、お母さんのそばにいたい。
お母さんと一緒にいたい。

1日でも長くいて欲しい。

でも、過酷な癌治療で、苦しむ彼女は見たくない。
お母さんが、少しでも安らかであるように。

葛藤。

いま、思うことは。

私は、お母さんのそばにいようと思う。
彼女の内なる力を信じて、そばにいようと思う。

「がんばらんとね」という彼女を励まし、勇気付け、
でも、不安や恐怖を口にできるスペースを作ってあげたい。

そして、私は、人の心に共感できる人になりたい。

まずは、何が起きたかをしっかりみよう。
それを受け止めるしかない。

私なりに、スタートラインに立つしかない。

母は今、癌という病気にかかった。
完治の可能性はない、らしい。

手の施しようがないほどに進行した癌、らしい。

でも可能性を見出すスペースはないか、みてみよう。

そして残された時間をどう生きるか。
どう、共に生きるか。

母が母らしく、
彼女の人生を受け止めて、
多くを許容し過ごせるように、

私は寄り添いたい。

私の新しいテーマが生まれた。

この件、blogに書くかどうかしばらく考えていたけど、
これからの私の生活に、母の癌治療は大きな存在となる。

そう思うと、私はやっぱりありのままでいたくて、
だから、書き始めようと思った。

Om Shanti.

続く↓↓↓

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コメント

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